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思いやりに関する考察

今日は、思いやりについて書こうと思う。

 

初投稿の「うんこ」に続き、

今回「思いやり」について書く理由は、

この2つこそ最近私がもっとも強い関心を抱いているものだからだ。



なぜ、思いやりに関心があるのかと聞かれれば、

面白いからだろう。

 

思いやりは、自分以外の存在のためにする

行動、言動、気遣い、その他もろもろの所作のこと。

 

そこには、その人の感性や、相手との関係性によって、

さまざまな表現がなされるので、

取り上げてみると、どれも独特なのだ。



例えば、こんな「思いやり」の話がある。

 

母親が子供を思いやって、

目の前で札束を数えて見せる話だ。

 

これだけ書いても

なんのことだかよく分からないので説明すると、

この話は私のおばあちゃんと母とのことである。




母が生まれて早くに離婚したおばあちゃんは

女手一つで母を育てた。

 

愛媛の片田舎にある船着場で売店をしながら、

空いた時間で洋裁をし、町に服を卸して生計を立てていたらしい。

 

日々を忙しく過ごすことで、

おばあちゃんは母にピアノを習わせ、

音大まで出させてやった。

 

かといって余裕のある生活を送っていたわけでもなく、

その暮らしぶりはだいぶ倹約的だったようだ。

 

とりわけ顕著なのは住まいだ。

 

おばあちゃんと母の住まいは

船着場の駅構内の売店横にある部屋を間借りしたものだった。

 

風呂など当然ついてはおらず、

隣の家に借りて入るなど、不便していたらしい。

 

しかしなにより困るのは、

引き戸1枚隔てて、部屋の外が駅構内であるということだ。

 

夜中、寝ている二人の部屋に

酔っ払った乗客が便所と勘違いして入ってくることが何度もあった。

 

そのたびに母は恐怖し、

布団の中でぐっと身を丸めていたのだという。

 

おばあちゃんと母は、

母の音大入学で上京するまでの18年間、

そこで暮らしていた。



物心ついた頃から父親はいなかったが、

私の母はおばあちゃんの愛情をいっぱいに受け、

寂しい思いをすることなく育った。

 

しかし、駅構内の一部屋での暮らしに母は、

たびたび生活に不安を覚えたという。




母が小学生高学年のときのことだった。

ある晩、不安にかられた母はおばあちゃんに尋ねた。

 

「うち、お金大丈夫なの?」

 

するとおばあちゃんは、戸棚から手提げ金庫をおもむろに取り出した。

 

「見なさい」

 

手提げ金庫から出てきた札束の帯封を解き、

おばあちゃんは母の目の前で札束を数えて見せた。

 

子供がなかなか目にすることのない枚数のお札を見て、

そのとき、母は「ああ、うちは大丈夫なんだ」と心から思い、

安堵したのだそうだ。




おばあちゃんが何かと味なまねをする人であることは、

共働きの両親の代わりに育ててもらった私もよく知るところだ。

 

このように、「思いやり」の形をよくよく見ると、

その人の生き方や、持っている感性、相手との間柄、

匂いのようなものさえ嗅ぎ取れてしまいそうなくらい、

いろんなものを感じ取ることができる。

 

そのどれもにオリジナリティがあり、

固有の面白さを見つけることができるのだ。

 

(ピンス)